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えいご漬け(DS版)



これも3ヶ月前から始めました。
(DS版、中古¥1980で購入)

けっこう重宝していますよ!
オススメです。
以下、購入を検討している方のためにメモ書きを・・・。


<よい点>
・電源を入れて15秒で問題までたどりつける簡素なオープニング。

・通勤電車10~15分にはちょうど良い。
私は5問ひと区切りの設定なので、1回の乗車で3~4節は解ける。

・単純だがカレンダーに赤丸で「済」が並ぶと壮観。
途中から増える「ミニドリル」が意外にうれしい。

・運動で言えば毎日3~5kmのウォーキング、って感じです。


<ビミョーな点>
・イヤホンがないと家の中でも聞き取りづらい。

・文字認識がみょうに厳しい時がある。
電車の横揺れではキレイな文字など書けっこないので
「答えが分かっているのに認識してもらえない」
という状態にイライラすることも・・・

・ひたすらディクテーションをする教材なので
当然ながらスピーキングや文法は伸びづらい。(と、思う)
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【2009/09/02 22:22】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】

つい“教えすぎ”てしまう私。
人をどうやって育てたらいいのだろう?
よい所を見つけて伸ばすには何をすべきなのだろう?


最近、悩んでいます。
ここ数ヶ月のテーマになりそうです。


野村再生工場 ―叱り方、褒め方、教え方
(野村克也著、角川oneテーマ21)

「教えないコーチは名コーチ」―メジャーリーグにはこういう名言があるそうだ。じつは私も同じ考えである。
 私がプロ野球の世界に飛び込んだころはコーチなどいないも同然だったが、現在ではどのチームでもバッティング、ピッチング、守備・走塁、バッテリー・・・というようにコーチが細かく分かれ、それぞれが専門に技術的指導やチェックを行っている。そして、彼らは教えることが自分の義務だと思っているのか、あるいは教えないとサボッているとみなされると思っているのか、競い合うように選手を教えている。
 だが、コーチがあれこれと口と手を出すことは、必ずしも選手のためにはならない。だから私はいつもコーチたちに言っている。
「なるべく教えるな」
 なぜか。教えすぎると、選手がみずから考えることをしなくなるからである。

(中略)
 たとえば、明らかに間違った打ち方をしているのに、何も訊いてこない選手がいたとする。そういう選手は何も考えていないに等しい。あるいはとんでもなく鈍感なのだ。いずれにせよ、そんな選手に対してすぐに教えてしまうのは逆効果である。
 まずは選手のなかで問題意識が高まるようなアドバイスをし、本人に疑問が生まれるように仕向けることが必要だ。
 すると、「どうしたらいいでしょうか」とコーチに訊いてくるようになる。そのときこそがコーチの出番である。今度は絶対に選手を突き放してはいけない。徹底的に教え込むのである。
 というのは、選手が自ら教えを乞いにくるときは、選手の向上心や知識欲が最高潮に達しているからだ。そんなときの選手は、聞き入れ態勢が整っているから、スポンジが水を吸い込むようにコーチの言ったことを吸収する。その結果、見違えるような成長を見せることがあるのである。
 つまり、コーチは選手を日頃からよく観察し、それぞれの選手の心理や置かれた状況をきちんと見極め、もっとも効果が期待できるタイミングを見計らって教えることが求められるのだ。
(P.18-20より引用)


この本に1つのヒントがあるような気がするので、
少し長いのですが、引用させていただきました。

「観察」
・・・励みます。

【2009/03/18 23:05】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】

ニーチェの言葉に奮い立つ
「座右のニーチェ」(齋藤孝著、光文社新書)を読んだ。

高校生Aくんが「好きな本だから」と私に貸してくれたものだ。

印象的な言葉がいくつも並んでいた。

まず大胆に自分自身を信ずるがよい―おまえたち自身とおまえたちの内臓を信ずるがよい。自分自身を信じないもののことばは、つねに嘘になる(P.22)


この瞬間を見よ。・・・・・・
この瞬間という門から、
一つの長い永劫の道が後ろに向かって走っている。
すなわち、われわれのうしろには一つの永劫があるのだ。
(P.66)


飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、
まず、立つこと、歩くこと、走ること、よじのぼること、
踊ることを学ばなければならない。―
最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。
(P.85)


君たちはまだ見たことがないのか。
帆がまるくふくらんで、
強烈な風におののきながら海をわたって行くのを。
その帆のように、精神の強烈な風におののきながら、
わたしの知恵は海をわたってゆく
―私の荒々しい知恵は。
(P.199)


中高生のころの私は
自分自身の運命や将来、あるべき生き方など
さまざまな不安に苛まれ、悩みの底に沈んだときに
古代中国の思想家たちの言葉に助けてもらった。

ニーチェと聞くと
「神は死んだ」「ニヒリズム」などの言葉しか記憶に無く
どうも自分と西洋哲学は合わないような気がしていたが、
百聞は一読にしかず。
なかなか彼の言葉も奮い立たせてくれるじゃないか、と驚いた。


というわけで、皆様にもオススメします。
ぜひご一読を。

【2009/03/15 23:25】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】

一杯、一杯、また一杯。
別れと出会いの春。

私はある意味、「秋」よりも切なさを感じます。

・・・特にお酒が入ると。


そんな夜、ふと「漢詩」の名句が心をよぎるのです。

両人対酌山花開  両人対酌して山花開く
一杯一杯復一杯  一杯、一杯、また一杯
我酔欲眠卿且去  我酔ひて眠らんと欲す 君しばらく去れ
明朝有意抱琴来  明朝意あらば 琴を抱いて来たれ
(李白「山中にて幽人と対酌す」)

あなぐま訳:

ふたりで飲めば花も開く。
一杯、一杯、また一杯。
・・・
酔った酔った。いやぁ愉快。
・・・
もう眠いぞ。君、ひとまず帰ってくれ。
あす朝、気が向いたら、琴でも持ってこいよ。


渭城朝雨潤軽塵  渭城の朝雨 軽塵を潤す
客舎青青柳色新  客舎青青 柳色新たなり
勧君更尽一杯酒  君に勧む 更に尽くせ一杯の酒   
西出陽関無故人  西のかた陽関を出ずれば 故人無からん
(王維「元二の安西に使するを送る」)

あなぐま訳:

砂ぼこり舞うこの渭城の街も
けさの雨で、色鮮やかになったなあ。
・・・まあ、もう1杯どうだ。
どうせ陽関の先には、連れもおらんだろう。


葡萄美酒夜光杯  葡萄の美酒 夜光の杯
欲飮琵琶馬上催  飮まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す
醉臥沙場君莫笑  醉ひて沙場に臥すも 君笑ふことなかれ
古来征戦幾人回  古来征戦 幾人か回(かえ)る
(王翰「涼州詞」)

あなぐま訳:

夜の砂漠にかがやく
葡萄の美酒に、夜光のさかずき。
飲もうとすれば、馬上から琵琶の音。
・・・いいもんだね。
酔って砂の上に寝ちまっても、笑ってくれるなよ。
だって考えてみろよ。
遠征から無事生還した奴なんて、いやしないだろ?



・・・酒の詩ばかりですが。

漢詩はいいですよ。
癒されます。

もし興味があれば、こちらもどうぞ。
江守徹さんのナレーションがしびれます。

漢詩紀行 国破れて山河あり ~杜甫~ チョイ見世 番組公開ライブラリー(NHK)
http://www.nhk.or.jp/archives/choi/entry_000372.html
(※3月末までの限定とのこと。
2ヶ国語放送ですが、音声を左だけに絞ると日本語です)


【2009/03/12 23:50】 | 中国古典のおへや | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【つぶやき】 【おすすめの本】

『スラムドッグ$ミリオネア』の原作を買う。
アカデミー賞8部門受賞作。


映画『スラムドッグ$ミリオネア』公式サイト
http://slumdog.gyao.jp/

あらすじ(eiga.comより転載)
 インド、ムンバイのスラム街で生まれ育った無学の少年ジャミールは、クイズ番組「クイズ$ミリオネア」で最終問題までたどり着き、一夜にして億万長者のチャンスをつかむが、不正を疑われてしまい…。インドの外交官ビカス・スワラップが執筆した小説を、「フル・モンティ」のサイモン・ボーフォイが脚色。「トレインスポッティング」のダニー・ボイル監督が全編インドで撮影した、スラム育ちの少年の人生を描いたドラマ。第81回アカデミー賞で作品賞、監督賞ほか8部門を受賞した。


公式サイトやテレビの予告編から簡単に紹介しますと

○スラムドッグ(スラムの負け犬)と呼ばれる無学の主人公が、正解を連発
○最終問題を前に警察を呼ばれてしまい、不正を疑われ拷問を受ける
○そこで明かされる真実。クイズの正解は、
  「スラム街で生き抜いてきた少年の壮絶な生涯」と大きく関係している
○「運じゃない、運命なんだ」というキャッチコピーが印象的

制作費はハリウッド大作の10分の1、出演者も大半がインドの俳優で
アカデミー賞8冠に輝いたとのこと。
テレビであらすじだけ見たのですが、非常に興味深い内容で
4月の日本公開が待ちきれない感じです。


あまりに待ちきれないので、会社帰りに原作となった
『ぼくと1ルピーの神様』を購入。

・・・あ、勉強しなきゃ。

【2009/02/27 22:33】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】

名将に「自分の限界と人生の意義」の相関性を学ぶ
先日書いた受験生のお話のつづきです。

   ◆大学受験の小論文は「論理構成力」に尽きる
   http://anaguma1.blog98.fc2.com/blog-entry-288.html


3回ほどの指導で小論文はどうにか形になってきました。
・・・まずはひと安心。

来週の今ごろ彼は前期試験に臨むのですが、それはあくまでも練習。
本番は来年の春、難関医学部へのチャレンジです。
少なくとも現段階で、彼の得点は決して高くありません。
周囲の17-18歳と同じ方法を採用して、同じように努力していては
差を埋めるのに大変な時間と労力がかかるだろう
と思うのです。


つまり、何か「工夫」をするしかありません。


この年(33歳)で「受験勉強」というタスクについて
真剣に考えることになろうとは思ってもみませんでしたが、
要するに私の見立てでは

[1]学ぶべき知識の範囲の中で重要度の高いものを選びとる(情報選択)
[2]ただ公式化するのでなく、文脈をともなって理解する(読解)
[3]情報を脳に記憶させる+効率的に引き出せるよう訓練する(記憶処理)
[4]問題を読み、求めるテーマと必要な情報を記憶から引き出す(読解)
[5]ミスなく短時間で、正しい解を求め書き出す(スピード&正確性)

この5つが受験勉強に重要なプロセスです。
[1]-[3]は事前学習、[3]-[5]は実戦(テスト)ですね。

彼の場合、それぞれの基礎能力は十分あると思います。
しかし、これまで各プロセスにかけた絶対的な時間、
つまり努力が足りない。特に[1][3][4]が少ないのです。
(諸事情で学校に行けない時期もあったとのこと)


そこへ

「睡眠時間を5時間に減らす」

というアイデアが出てきました。
彼の体を慮ると(どうかな?)と心配になる部分もあるのですが、
状況を打破するのに「爆発的な何か」が必要なのも事実です。

睡眠時間を減らせば、当然ながら
1日にできることの範囲が広がります。
ひいては「自分の限界点」を広げることにもつながるでしょう。
ただ「やりすぎ」は禁物です。
睡眠を2割削っても、脳の回転が2割落ちるのでは意味がありません。


・・・ふと、イビチャ・オシムのことを思い出しました。

日が暮れるまでグラウンドにいて、
夜はヨーロッパのサッカー中継を研究して、
ちょっと寝たら、また朝が来て。
24時間サッカーのことを考え続けていた監督です。

ジェフの監督になった時、彼は就任の挨拶もなしに
初日から選手をひたすら走らせる過酷なメニューを与え
気が付けばチームは強くなっていたという話があります。

「限界を作るな。走れ」

とにかくタフでストイック。
それでいて叡智に富んだオシムの生き方は
私に衝撃を与えたのでした。

『オシムの言葉』(木村元彦著/集英社)より引用

2004年8月1日対レアル・マドリード戦後
「レアルと違い、ジェフは今いる選手で戦っていかなければならない。人生もそう。自分たちが歩むべき道を探していかなければならないのだ。日常生活の中で、平坦な道のりはない。上に上がってゆくには何らかの危険を冒し、何かを犠牲にしなければならないのだ」
(P148より抜粋)

「守るのは簡単ですよ。作り上げることより崩すことは簡単なんです。家を建てるのは難しいが、崩すのは一瞬。サッカーもそうでしょう。攻撃的ないいサッカーをしようとする。それはいい家を建てようとする意味。ただ、それを壊すのは簡単です。戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをブチ壊せばいい。作り上げる、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?」
(P200より抜粋)



得るものがあれば失うものもあるかもしれない。

とにもかくにも、17歳の若者は
自分の限界を広げることに決めたようです。

私はどうなんだろう?
「オシムの言葉」を読みながら考え込む夜。


【2009/02/19 22:45】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】 【名言】

ユーザータグで「関連エントリ」を自動生成したかったのですが・・・
久しぶりに時間のある週末。


よくエントリの後ろに

「この記事に関連したエントリ」

というリスト表示がありますよね。
これを出したくって、去年2月くらいにブログを改装したときに
手作業で最初の60本くらいの記事には、関連エントリをつけました。

ただ、かなり手間が掛かったので、その後は付けていません。
何とか「自動生成をしたい」と
ずっと前からブックマークしていた方法を試してみることにしました。


これは便利!な 「FC2ブログで関連エントリーリスト」を試す(後編)
WebとPCのメモ帳
http://128bit.blog41.fc2.com/blog-entry-24.html

リンク先に無償のソースが公開されていて、それを貼り付けるだけ。
ただし「ユーザータグ」というFC2独自のタグを整理する必要があるよ。


という内容でしたので、特に深く考えずにせっせと
今まで適当につけていたユーザータグを全部削除!
書いた内容を1つ1つ思い出しながら
20種類ほどのユーザータグに整理しなおす。
(ここまで苦節○時間)


・・・で、ソースをテンプレートに貼り付けて
ワクワクしてブログを確認すると、

表示されない。
○| ̄|_


まあ、無償提供の技術ですからね。
仕方ありません。

★リンク先の記事やトラックバックから推測するに、
公開されていたソースコードの内容は
「ユーザータグを公開者のサーバにデータとして送信し
公開者側でCGIを動かし、エントリリストを生成する」というもので
何がしかの理由で停止しているのでしょうね。


でも、せっかく整理したユーザータグがもったいないので
左メニューに出してみました。

あと、もうひとつ「amazon」の商品リンクも入れてみました。
書籍を画像つきで紹介できる、こんなやつです。


【2009/02/15 21:19】 | ます☆ぶろ研究室    (マスコミ・ウェブ論考) | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【ブログ】 【おすすめの本】

印象深い小泉元首相の信念「データじゃ政治はできない」
民主党のエントリを書きながら思い出したのが
先日紹介した『プロフェッショナル広報戦略』(世耕弘成著)の1シーン。

「データに基づく理論的な広報戦略を導入したい」
と世耕議員が自民党幹部にアプローチをかけたんだけど、
なかなかうまくいかなったよ、というお話の中でのエピソードです。

 一度だけ、勝負を賭けたことがある。結局は実現しなかったが。田中外務大臣を更迭し、支持率が急落したときのことだ。
 私は今度こそ官邸広報改革プランを総理に聞いてもらえるチャンスだと思い、プレゼンテーション資料をまとめ、秘書官にそれなりの時間を作ってもらった。一緒に食事をしながら、総理に対してプレゼンしたのである。
 官邸予算の一部を使い、コミュニケーション戦略チームの部屋を作る。そこにメディア対応の専門家を常駐させ、世論調査をしたり、全国のテレビや新聞、雑誌をモニタリングする。
 毎日様々な問題が発生する中で、総理が番記者に対してどう答えたらよいかを、世論長などのデータに基づいて、そこで組み立てていく。プロの人材を5、6人集めてチームを組んでやれば、とてもいい広報ができる。
 年間予算1億円くらいで可能という企画書である。総理も今回は私の話をじっくり聞いてくれた。しかし最後にこう言った。

 「つまりデータを使うってことか?データを使うってのはね、君、ダメだ。それじゃあ、田中さんを更迭はできないんだ。データを使ったら、世論が反対なのはわかるわけだろ?できないじゃないか。政治はそういう問題だけじゃないんだ。直感とか、信念とか、自分で決断しないといけない。データじゃない。企業と違うんだ。だからこれは使えない」

 福田康夫官房長官や安倍晋三官房副長官は私の提案に理解を示してくれたため、官邸への説明は続けるものの、総理がその気にならないことには話が進まないことはわかっていた。


ここ最近の私は、いくつもの案件が交錯していて
これもやらなきゃあれもやらなきゃ。あっちを立てればこっちが立たず。
自分のやることは全然減らずに増えてゆく、いわゆる「悪循環」なのですが
やはりトップに立つ政治家というのは、考え方も独特ですね。

直感、信念、決断。

・・・ううむ。
自分が仕事でこれを発揮するには、時期尚早な気がしますわ、正味な話。



【2009/02/06 21:51】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【名言】 【おすすめの本】

『プロフェッショナル広報戦略』を読む
「PRプランナー」の試験勉強をちょっとずつ進めています。


2005年の衆議院選挙はとても印象に残っています。
私は当時県政記者クラブのキャップで
選挙取材も中心になって進めていたからです。
結果は皆さんご存知のとおり、小泉自民党の大勝利。
「あたかもアイドルのように遊説に登場する小泉首相と
彼に熱狂する人々の光景」は今でも鮮烈によみがえります。

あれから4年。

内閣・自民党ともに支持率は極限まで下がってしまいました。
あの熱狂が嘘のようです。
補正予算案可決後か?といわれる次の衆議院議員選挙ですが、
もはや自民党は「惨敗を待つばかり」という情勢のようにさえ感じられます。

しかし。

仮に・・・の話ですよ。

この本の著者・世耕弘成議員がもう1度中心に立って
選挙広報マネジメントを綿密に行い、
その戦略がきちんと定まるのであれば
誰もがアッと驚く“大逆転”もありうるのかもしれない。


そんなことさえ感じさせる、興味深い本に出会いました。

『プロフェッショナル広報戦略』
(世耕弘成、ゴマブックス社)

この本では、NTTの広報課長だった世耕さんが
企業広報で学んだ経験を武器に自民党を変えようと奮闘。
初めは上手くいかなかったものの、2005年衆院選で
天の時・地の利・人の和を得て、念願の「広報戦略チーム」を率い、
自民党に大勝利をもたらすまでの一部始終が克明に描かれています。

本の書き出しはこのように始まります。

 1998年11月の参議院補欠選挙で初当選した私は、企業と消費者をつなぐNTTの広報マンから政治と国民を結ぶ政治家に転身した。政治家としては新人だが、広報に関しては企業広報の現場で経験を積んできた人間である。その私の目から見た政界、とくに首相官邸はコミュニケーション戦略不在の世界だった。
(中略)
 今、安倍晋三官房長官は朝夕と記者会見している。事前準備の時間は長い場合でもたったの20分。それも、役所が作った想定メモが生のままで上がってくるだけである。その間に、コミュニケーションのプロによる戦略的価値判断が加えられているわけではない。
 各役所から今朝の新聞に出ていたことの中から聞かれそうだなということに関する想定問答だけが、集まってくる。安倍官房長官には誰もアドバイスする相手がいない状態で、それを20分間だけラインマーカーを自分で引きながら読んで会見に臨むのである。
 そうやって政府のスポークスマンとしての官房長官が毎日の記者会見をしているのが、現状である。恐ろしいことだ。
 総理大臣も同じである。小泉総理以前の官邸はとくにひどかったのであるが、部屋を出た時点で記者に取り囲まれる。いわゆる「ぶら下がり取材」という方法だ。
 50人ぐらいに取り囲まれ、車に乗るまでの、あの旧官邸の赤い階段を下りている間に、「クリントン大統領のさきほどの発言についてどう考えますか」とか「今日の株価が下がってますけどどうですか」と、今朝の出来事を中心に古今東西、森羅万象に関する総理としての見解、コメントを求められるわけである。それもマイクを前後から突きつけられながらである。
 総理も人間だから、機嫌のいい日はよく話す。すると、言わなくていいことまで言ってしまったり、機嫌の悪い日はムスッとした映像が流されて、いかにもイライラする総理大臣という姿を、国民にまざまざと見せつけてしまう。総理や官房長官のコメントは世界に向けて発信される。私はこの現状を国益に関わる問題だと考えている。


本書を通して一貫しているのは、
世耕さんは全ての行動の主軸を「コミュニケーション戦略」を置いていて
企業であれ、政党であれ、国であれ、(おそらく個人であっても)

「同じ行動を“情報”として披露する時、
上手に情報発信をすれば、その価値は何倍にも増し、
下手な情報発信をすれば、その価値はゼロ、あるいはマイナスにさえ転ずる」


という考えを持っているのでしょう。
大いに共感します。


※ちなみにamazonのレビューでは
「そうは言っても2007年参院選は惨敗だったんだから・・・」
みたいな意見もありますが、
やはり「自分も出馬する人」が選挙で裏方を兼ねるのは難しく、
世耕さんの戦略は実践されなかったと見るべきでしょう。
逆に言えば2つの選挙(&今年の選挙)を比較想像しながら、
色々と考えてゆくと、さらに興味が増す内容だと思います。


【2009/02/03 21:55】 | ます☆ぶろ研究室    (マスコミ・ウェブ論考) | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】

今さらながら驚いた「スーパーアグリF1の真実」
『鈴木亜久里の挫折』
(赤井邦彦著、文春文庫)

何気なく手に取った本なのですが、スゴイ中身でした。

2年ちょっとF1で戦った「スーパーアグリF1」の真相を
本人の証言を交えながら追ったドキュメントです。

なんというか
「わがまま」
という言葉の意味を考えさせられてしまいます。
まだ読中なのですが、
あまりにも衝撃的だったのであらすじを少しご紹介。


<ふりだし>
あぐりの夢「45歳でF1チームのオーナーになるぞ!」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 あぐり「ちょっとほんださん、共同オーナーにさせてもらえません?」
    (A社が資金バックアップしてくれるんだって)
 ほんだ「共同はちょっと・・・お金あるなら自分でやる?」
    (よかったら琢磨もそっちでドゾ)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
FIA「08年からチームの参入制限厳しくするよ」

あぐり 2005年秋の決意
「あと半年で開幕だけど、もうチャンスは少ない。
・・・F1オーナーに、俺はなる!」


9月16日 イギリスに工場を押さえ、スタッフ集め ≫元ドライバーゆえの迅速さ

FIA「・・・ここ2年で走ったマシンは使えないルールなんだけど」 ≪アチャー

工場に4年前の中古車が3台届き、改造スタート!

ほんだ「エンジン持って来たよ~!・・・あれ?」 ≫エンジニアゆえの苦悩

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 FIA「ところで参入時の“供託金”っていくらか知ってる?」
 あぐり「えっとね(よく知らないわ)・・・2400万ドルくらい?」
 FIA「ううん、その倍(当時レートで58億円)。まあ、待ってあげるよ」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

10月4日
ほんだ「来年新たなチームが出て琢磨が移籍します!」
 ≫無駄にフライング発表

A社「実はうち、資金苦しいんだ。あてにしてたら、ゴメン」 ≪アチャー×2

FIA「どうすんの~?エントリーリスト発表しちゃうよ」

11月1日 必要に迫られ、あぐり記者発表
「えっと・・・F1やります」

・・・でも資金のメドは立ってないんですけどみたいな ←心の声

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 あぐり「大手のS社さん、協力してくれるんですか!」
 S社長「うん」
 ≫数日後の役員会「あれ?うちのロゴ入ってないの?・・・じゃあ無いわ」 ×

 あぐり親友「大丈夫。うちの会社上場したからさ、その株を担保に入れよう!」
 各銀行「ジャスダック新規株でF1の融資はちょっと・・・」 ≪アチャー×3
 あぐり「そこを何とか(T_T) 供託金は返ってきますから」
 FIA「開幕まで1ヶ月ちょい・・・もう無理っしょ?」 ≫最終締切は1/26
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1月22日昼 どうにか“供託金の融資”決定
あぐり「振込手続に2週間?・・・4日で頼みます」
 ≫絶対に負けられ(以下略)

1月26日夜 FIAがエントリ受諾

広告会社「すみません。スポンサーが全然集まりません」 ≪アチャー×4

スタッフ「中古車の改造終わりました! ≫他チームより2~3割性能は劣りますが
     ・・・ところで“活動資金は未定”って本当なんすか?」

 11月14日 マシン改造開始
 2月6日 規格テスト合格
 2月21日 はじめてのテスト走行
 3月9日 えっ?もう開幕・・・
 ≫スポンサー未定につき純白のマシンでお送りします

 琢磨「俺さ、まだこのマシンで6周以上走ったことないんだよね」
 井出「僕なんかF1そのものが初めてですけど、何か?」


F1開幕戦バーレーンGP決勝(57周)スタート

琢磨みごとに完走(4周遅れ)、井出はリタイア

英語もたどたどしくレースも未熟な井出が
ライバルの嫌がらせでスーパーライセンス剥奪
 →今ここ



この本を読みながら数年前に取材した男性を思い出しました。

50歳で脱サラして、ある中東の国で念願の日本食店を開業。
サラリーマン経験しかない、ちょっと虚言癖もある男性でしたが
天真爛漫というか魅力的というか、まさに現代の“ドン・キホーテ”。

私も現地に飛び、悪戦苦闘する様子を密着取材したのですが
開店の前後も、裏ではずーっと「お金」の問題がつきまとっていました。

本人は離婚して、日本の自宅も売り払って夢に挑みましたが
お店の売上は伸びず、3ヶ月で「給与不払い」が発生する事態に。
半年後には当局の査察を受け、営業停止に―。
(酒類販売の許可申請もれ&日本人従業員の就労ビザ問題)
テナント契約も解除され、借金だけが残った彼の消息は
もはや分からなくなってしまいました。

・・・「夢」って何なんでしょうね?
私にはとても難しいクエスチョンです。



【2009/01/28 21:05】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(1) 
tags:【おすすめの本】

子供の頃「憧れのヒーロー」はいましたか?
1ヶ月近くに及んだ「三国志」プレイバックが
ようやく終末を迎えようとしている。

吉川英治の「三国志」全8巻を読んだことがある人なら
おそらく分かってもらえると思うが、
孔明と仲達の死闘、そして蜀の滅亡という
何とも悲哀ばかりが漂う第8巻は本当につまらない。


・・・はずだった。

驚いたことに、
齢を重ねてから読む第8巻は、とても味わい深いのだ!

なぜ蜀の国は孔明しか有能な人がいなかったのか?
その孔明がいくら神算鬼謀を用いても魏を破れなかったのはなぜか?
子供の頃から尊敬し、憧憬の念を持っていた人物の
最後をじっくりと読み解くと、だんだんと分かってくる。

吉川英治はわざわざ1章を用いて
自分なりの「諸葛孔明論」を展開している。

 孔明が軍馬を駐屯した営塁のあとを見ると、井戸、竈、障壁、下水などの設計は、実に、縄墨の法にかなって、規矩整然たるものであったという。
 また、官府、次舎、橋梁、道路などのいわゆる都市経営にも、第一に衛生を重んじ、庶民の便利と、朝門の威厳とをよく考えて、その施設は、当時として、すこぶる科学的であったようである。
 そして、孔明自身が、自らゆるしていたところは、
 謹慎 忠誠 倹素
 の三つにあったようである。公に奉ずること謹慎、王室につくすこと忠誠、身を持すこと倹素。―そう三つの自戒を以て終始していたといえよう。
(中略)
 たとえば日本における豊臣秀吉の如きは、犀眼、鋭意、時に厳酷でもあり、烈しくもあり、鋭くもあり、抜け目もない英雄であるが、どこか一方に、開け放しなところがある。東西南北四門のうちの一門だけには、人間的な愚も見せ、痴も示し、時にはぼんやりも露呈している。彼をめぐる諸侯は、その一方の門から近づいて彼に親しみ彼に甘え彼と結ぶのであった。
 ところが、孔明を見ると、その性格の几帳面さが、公的生活ばかりではなく、日常私生活にもあらわれている。なんとなく妄りに近づき難いものを感じさせる。彼の門戸にはいつも清浄な砂が敷きつめてあるために、砂上に足跡をつけるのは何かはばかられるような気持を時の蜀人も抱いていたにちがいない。
 要するに、彼の持した所は、その生活までが、いわゆる八門遁甲であって、どこにも隙がなかった。つまり凡人を安息させる開放がないのである。これは確かに、孔明の一短といえるものではなかろうか。魏、呉に比して、蜀朝に人物の少ないといわれたのも、案外、こうした所に、その素因があったかもしれない。
(吉川英治『三国志(八)』文庫版P.382-383より抜粋)


自分は孔明の50分の1の器も才もないとは思うが、
人としてのあり方・理想像、もっといえば「ヒーロー像」として
32歳の今も、心のどこかにずっと彼に憧れる自分がいたのは確かだ。

そして吉川英治の「孔明の人間的弱点」に関する指摘は、
ある意味見事に、今の自分に当てはまっているかもしれない
と感じ
このくだりを読んでドキっとした。


8巻をほぼ読み終えようとしている今、一番興味があるのは
呉の賢人として称えられながらも実直・素朴で、
赤壁の戦いの前後には、孔明によいように騙されつづけ
手玉に取られていたのに、それでも憎めない「魯粛子敬」。
子供の頃は“太っちょの長者さん”を想像していたが
正史では“稀代の戦略家”との評価もあり、
三国志演義とはずいぶんキャラクターが違うようだ。

今度は「魯粛伝」でも読んでみよう・・・。



【2008/10/02 22:17】 | 中国古典のおへや | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【おすすめの本】

時代が求めるのは「仁者」か「詩人」か
数日前から寝る前に『三国志』(吉川英治著・全8巻)を読んでいます。
初めて読んだのが中学1年だったでしょうか?
社会人になってからも2~3年に1度読み返したくなる名著です。

今、第3巻です。
漢王朝が完全に衰退し、群雄割拠の世の中で
巧みな戦略と政治力を武器に台頭してきた『曹操』
王朝の血を引き、類まれなる人徳で慕われる『劉備』
2人の英雄を中心にストーリーが進んでいます。

子供のころは、
運に恵まれず1国の領地も守ることができない劉備にヤキモキし、
時流を得て国土を拡大し続ける曹操を小憎らしく思っていました。

しかし、この年齢になって読むと
『曹操』という人物は非常に興味深いのです!

彼は基本的には“戦略家”です。
ところが『策士、策に溺れる』の言葉もあるように
何度も自分の立てた戦略が失敗して、命の危機に晒されます。
国土だけでなく大切な部下まで失ってしまいます。
しかし彼はめげずに何度も再起を図り、その都度勢力を拡大します。

「折れない心」と「周囲を奮い立たせる力」
この2つがまず非常に印象的です。

もう1つ子供心に思っていたこと。
どうして曹操のところにはたくさんの人材がいるのに
劉備のところには関羽・張飛しかいないんだろう・・・?

曹操のもとに優秀な武将・軍師・政治家がたくさんやってくる背景。
大人になって読むと分かるんですね。

例えば行軍の道すがら、自分が一敗地にまみれた場所にやってくると
曹操は亡くなった部下を思い、胸を打つような言葉を発し、
時に慟哭し、供養の儀まで開いてあげます。


あるいはこんな記述。ある戦の場面です。

「許猪、許猪っ」

曹操は中軍にあって「行け、見えるか、あの敵だぞ」と、指さした。
「はっ」と、許猪は、飼い主の拳を離れた鷹のように馬煙りをたてて翔け向った。
(中略)
許猪は、曹操の前に二つの首を並べ、
「これでしたか」と、庭前の落柿でも拾って来たような顔をして云った。
曹操は、許猪の背を叩いて、

「これだこれだ。そちはまさに当世の樊噲(はんかい)だ。
樊噲の化身を見るようだ」

と、褒めたたえた。(注釈:樊噲は前漢時代の勇猛な武将)

許猪は、元来、田夫から身を起して間もない人物なので、
あまりの晴れがましさに、「そ、そんなでも、ありません」と
顔を紅くしながら諸将の間へかくれこんだ。
その容子がおかしかったか、曹操は、今たけなわの戦もよそに、
「あははは、可愛い奴じゃ。ははは」と哄笑していた。

そういう光景を見ていると、諸将は皆、自分も生涯に一度は
曹操の手で背中を叩かれてみたいという気持を起した。
(第二巻、257ページより引用)


何だか微笑ましくなるじゃありませんか。

吉川英治は文中で曹操を“詩人”と称していますが
彼を支えているのはまさしく「言葉の力」だと思います。
一方の劉備に備わっているのは「仁」の心。
巧言令色少なし仁』まさに君子の心得を体現しています。
もちろんそれが悪いとは言いませんが、どうも力強さに欠けるような・・・。

「ビジョンの提示」「モチベーションの高揚」
何よりも「明るい未来と希望を人々に抱かせること」

これらはリーダーが果たすべき大きな役割です。
政治で言えば小泉総一郎のテレビポリティクスにも近いのですが
曹操を天下の覇者たらしめたのは
現代的なリーダーシップそのものだったのではないか?
と感じます。


ひるがえって、ポスト福田首相選びに思いを馳せると
国民は、そして時代は
「仁者」「詩人」どちらに未来を託すのだろうか・・・?
とそんなことが気になります。


【2008/09/05 21:30】 | 中国古典のおへや | トラックバック(0) | コメント(0) 
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「ビタミンCがガン細胞を殺す」?
関係ない人には全く関係ないけれど
関係ある人にはすごく興味深い話でしょうね。
「ぜひ知って欲しい」と思い、ブログのネタに・・・。

ビタミンCがガン細胞を殺す
(柳澤厚生著/角川SSC新書)

最近、この本を読みまして
先々週から実際に家族が点滴治療を受けています。

かいつまんで理屈を書くと

1)点滴を使って、ビタミンC50gを血中に投与
※経口では摂取できる濃度に限界があるというのがポイント

2)細胞内で酸化反応が起こり、大量の過酸化水素が発生

3)正常細胞は過酸化水素を中和することができるのに対し、
  がん細胞は中和作用がなく、細胞そのものが破壊される

4)ゆえにがん細胞の進行を食い止められる

実際にやってみて素晴らしいのは
副作用らしきものがほとんどないこと。
すごく喉が渇くらしく、水を大量に摂取しますので
腎臓には多少の負担はかかっているかもしれない程度です。

これで結果が伴えば素晴らしいのですが・・・(祈)

アメリカではスタンダードになりつつあるそうですが
日本ではまだ導入1~2年の技術。
当然、無保険での治療となります。
世間の大手病院では、ほぼ漏れなく
「外科手術」「化学療法」「放射線療法」の
三種の神器(?)を奨められます。
あくまでも代替医療の域は出ませんが、
もし興味があれば、下記のリンクをどうぞ。

高濃度ビタミンC点滴療法によるガン治療について
(MR21 点滴療法研究会)
http://www.iv-therapy.jp/general/detail/01.html



【2008/08/20 22:39】 | 元記者の日記 | トラックバック(0) | コメント(1) 
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私にとっての最善手とは?
今週もしっかりと仕事ができました。
感謝。


今さらながら
プロフェッショナル 森内俊之VS羽生善治」の感想を。

もっとも印象的だったのが
2人とも「ひたすら最善手を追い求め続ける」という姿勢でした。
まるで哲学者か聖人か、求道者のように。
※将棋に詳しくない方は
「最善手=ベストチョイス」と置き換えてください。


ただその一方で
「常に最善手を指せば勝てる」と言えるほど、勝負って単純なのだろうか・・・?
という疑問も感じました。


そういえば、かつての名人・米長邦雄(翁)は
著書「人間における勝負の研究」の中で

  人生においては、最善手を指すより
  「悪手を指さないこと」がもっと大切だ


と書いています。

 悪手を指すのは簡単です。人を殺せば、それでその人の人生は終わったも同然でしょう。ところが、事故を含めて、人を殺すなんてことは簡単にできる。横領する、騙す、盗むといった悪手なら、もっと簡単で、人間が欲望どおりに行動していれば、たいてい悪手になります。また、普通に気をつけて歩いていても、車にはねられる危険はいくらでもある。要するに、悪手の山の中を歩いているようなものが“人生”なのです。
 こういう状況の中では、悪手を指さないくらい大切なことはない、という気さえしてきます。そして、少なくとも現在の自分よりも悪くならない手、ちょっとでも向上する手なら、どんな手を指してもいい、という考えも浮かんできます。(文庫版P.25-26より引用)


初めは正直なところ、米長さんの印象が良くない上に
この本に書いてあることもピンと来ませんでした。
しかし、2度3度と読み返すうちになるほどと思う部分が増えてきました。

たとえば「70点の手」と「90点の手」があるとして、
90点と評価されるのは「他人の意見やいろんな選択肢を探って
時に自分を否定しながら、泥にまみれて見つけた手」
であって
「独善的」であることは悪である、と私はずっと思い込んでいました。

しかし最近
「他善的」であることが必ずしも最善手を生むわけではないのかも?
と感じるようになってきました。

他人を尊重することは大切だけれども、
他人の考え方を必要以上に踏襲したり、自分の思考を止めてしまうと
結果として自分も他人も「望むべき未来」を手にできないかもしれない。
それよりは、自分の「最善」を突き詰め、万難を排して実行し、
生じるデメリットは全て自分が甘受する。
生じるメリットの方は、なるべく他人と共有し、時にはまるまる与える。

そんな生き方をすべきではないのか・・・!と思うのでありました。

何が言いたかったのかよく分からない気もしますが
金曜日の夜と言うことでお許しください。
皆さん、良い週末を・・・。


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【2008/07/18 22:35】 | 将棋のおへや | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【将棋】 【おすすめの本】

続・あなぐま就職自戦記[6]飛び込みセールス
困難な状況に直面したときに
「どう行動するか」で人の価値は決まる。



・・・8年前の私も、今の私も、そして8年後の私も
困惑し、悩み、落ち込み、でも少しの勇気と希望を持って
立ち向かっていける人間でありたいものだな、と最近感じます。

てなわけで、あなぐまのフレッシュマン日記・第6回です。

***************************

その11「ひるんでいます」(2000年4月30日)

 「飛び込みセールスをします!」と目標を掲げてから約3週間が過ぎました。はじめはやる気さえあれば何とかなると思っていたあなぐまでしたが、現状はひるんでいます。

 テレビにCMを出すことができる企業、といって皆さんはどんな企業を想像しますか?ある程度のステータスを満たした企業というイメージはないでしょうか?実際にTVCMを流している企業をよくよく見ると、ある程度の従業員と売り上げがあって、業種にも限りがあって、ひとくちに言えば「名の知れた」企業に限られていることが分かりました。(当然例外もあります。)

 つまり「新規にTVCMをうつ」というシチュエーションはなかなかありえないことなのです。それよりは、企業との以前からのお付き合いが存在して、時期に応じてCMが出されるというケースの方が圧倒的に多いのです。もちろん新しい企業や新しい業種が生まれることもあるのですが、地方都市のマーケットはそれほど活気づいてはいません。

 <-そういう意味では、テレビ局の営業は「硬直化したBtoB市場」で展開されているのです

 つまり、地元企業で「CMをうつ可能性がある企業の数」には、限りがあるような気が私にはするのです。その限りある企業群のなかで、先輩の営業社員が全くノーマークで、これまでに全くコンタクトがない企業がいくつあるでしょう?なんてことを考えてしまうと、経験も知識も人脈も足りない自分に何ができるだろうと考え込んでしまうのです。そして、ひるんでしまっています。


その12「なんのこれしき」(2000年5月6日)

 ゴールデンウイークでちょっと間があいての更新です。前回の少々めげ気味の精神状況を打開すべく、本屋で手に取ったのが「飛び込みセールスの必勝法」というタイトルの本でした。さんざん悩んだ挙句、「どうせいつかはやるんだから」という方向に気持ちが傾いた結果でした。

 <-すぐ本や事例に答えを求めてしまうのは私の悪いクセ?“自分流のアレンジ”を意識してはいますが・・・

 内容そのものは、学習教材のセールスマンとして優秀だった著者が、家庭への訪問販売を想定して自分の経験をまとめているものです。僕には直接関係しない部分も多かったのですが、セールスには「成功セールスイメージ」が大切だそうで、そのイメージをこの本がきっかけで考えるようになったのは大いなる収穫だったといえます。その他にも「断られた経験が多いセールスマンほど成功する」という言葉にも励まされたような気がしました。少し勇気が湧いてきました。

***************************

実際、テレビ局の営業は非常に特殊です。
目に見えない「電波」を切り売りして、正価はあってないようなものだし、
視聴者はあまねく人々なのに、クライアントはごく限られた人たちだけ。


皆さんはどれくらいの規模の地方企業ならCMを出せると思いますか?
売上が何億円?従業員は何人くらい?業種は?特徴は?
・・・答えは次回の日記で。





続・あなぐま就職自戦記[7]新人営業マンの失敗を読む

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【2008/07/10 21:47】 | あなぐまの就職自戦記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【体験談】 【営業】 【おすすめの本】

プロが積極的な情報公開をする目的
ロッテの渡辺俊介投手が書いた
「アンダースロー論」(光文社新書)を読みました。

びっくり。

新書なのに、変化球の握りやフォームのポイント、
アンダースローゆえの技術論が40ページ以上
も続きます。
それも通りいっぺんの建前を書き連ねるのではなく、
ひとことで言えば「企業秘密」をビシッ!と書いているのです。

アンダースローは「左バッターに打たれる」という先入観があるので、僕が先発する日は、左バッターを並べられます。8人が左、ということも何回かありました。(中略)左を並べるために、主力打者をベンチに下げるチームもあります。あまり相手に知られたくない話ですが、実はこれはありがたい。普段試合に出ていない左打者の方が、どう考えても主力打者より打ち取りやすいからです。(P.107-108)

僕はツー・ナッシングから勝負球を投げていきます。ストライクからボールになる球で勝負もできます。ツー・ナッシングから明らかなボール球を投げるのは、バッターに余裕が出てきますから、意味がないと思います。確かに必要な場面もありますけれど、たいていはツー・ナッシングから勝負です。(P.63-64)


ちなみにこの本が書かれたのは2006年の秋
05年春にWBCで大活躍し、そのシーズン15勝4敗の好成績をおさめながらも
06年シーズンは不調で6勝9敗と負け越した、その秋です。

えっ?
こんなこと書いたら、来シーズン余計に試合やりにくいでしょ!?

とシロートながらに心配してしまいます。

なぜ彼は自分の技術と想い、戦略を詳細にしたためたのでしょう?


同じ疑問が(奇しくも同じ苗字である)
現代将棋の申し子・渡辺明竜王にもあてはまります。

プロですから、たとえばインタビューや解説で
自分の技術・想い・戦略を披露することは、誰だってあるでしょう。
しかし彼は「渡辺明ブログ」で、手の内を大きくさらけ出しています。

きのう(5月16日)の対局では、竜王は負けてしまったにもかかわらず
「どこが作戦負けだったか」「決め手はどこだったか」
盤面つきで詳細に解説しています。
彼の凄いところは、勝っても負けても終わってすぐに研究成果を披露し、
時には「こうしていれば良かった」と次への布石まで書くことです。



プロが積極的に情報公開をする目的を、私は以下のようにとらえます。
①ファンへの意識~ファンあってのプロ。もっと野球・将棋を広めたい
②自己への意識~執筆は自己を成長させる。もっと技術を高めたい
③相手への意識~相手は必ずこれを読むはず。逆に意識させてやろう


俊介投手からは「アンダースローの投手が増えて欲しい」という願い、
竜王からは「新時代の将棋のあり方は自分が切り開くんだ」という覚悟が
それぞれ見え隠れします。

1対1の勝負の世界では「相手に自分の特徴を意識させる」ことで
苦手意識を植えつけたり、裏をかいたり、自滅させたり、と
さまざまな効果が期待できます。
事実、竜王はタイトルを獲る前からブログを続けていますし、
俊介投手は07シーズンを見事、9勝6敗と勝ち越しました。

最後に、少なくとも私はこの本と竜王ブログを読んで、
2人を応援せずにはいられません。

これはプロとして何よりの財産だといえるでしょう。

「情報は発信してこそ、はじめてその価値が増幅する」
ということでしょうか?




【2008/05/17 23:00】 | ます☆ぶろ研究室    (マスコミ・ウェブ論考) | トラックバック(0) | コメント(1) 
tags:【将棋】 【ブログ】 【おすすめの本】

メディア研究所説③ジャーナリズムの正体見たり
思い切って先にネタばらしをしてしまうと、

「私は6年、記者やディレクターをやってきたけど
自分は“ジャーナリスト”だと矜持したことなど1度もなく
むしろ1つの仕事(作業?)としてなすべきことをなす
“職業記者”として、自己を認識していたよ・・・」


ということを書きたくて、一連のエントリを思いつきました。
(ちなみに職業記者は私の造語)

でもどうせなら、皆さんが思っているであろう
「マスコミで記事を書く人=ジャーナリスト」という固定観念に
1つ疑問を呈したいと思い、あれやこれやと字義をこねくり回すうちに
だんだん遠回りになってしまいました・・・。

<過去ログ>
メディア研究所説①マスコミは巷にあふれている?
メディア研究所説②報道/ジャーナリズムは場所を選ぶのか


「ジャーナリズムの正体」が今回のテーマです。
とりもなおさず、この文章を皆さんに紹介したかった。

寺田寅彦「ジャーナリズム雑感」~青空文庫サイトより
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2492_10275.html
(抜粋)
 ジャーナルという言葉には昔からいろいろな意味があることは字引きを見るとわかるが、ともかくも「日々」という意味から出て、それから日刊の印刷物、ひいてはあらゆる定期的週期的刊行物を意味することになったのだそうである。そういう出版物を経営し、またその原稿を書いて衣食の料として生活している人がジャーナリストであり、そういう人の仕事がすなわちジャーナリズムだとある。手近な字引きで引いたところではたったこれだけの意味しか書いてないのである。
 しかしきょうこのごろ日本でいわゆるジャーナリズムという言葉には、これ以外にいろいろ複雑な意味や、余味や、後味や、またニュアンスやがあってなかなか簡単に定義しひと口に説明することはできないようである。人に聞いてみても人によっていろいろと多少は解釈がちがう、のみならずまた同一人でも場合によっていろいろちがった意味にこの言葉を使うことがあるようである。文章の中に出現しているのでも前後関係で意味や価値にずいぶん大きな開きがあるようである。誠につかまえどころのない化け物のようなものであるが、ともかくもいわゆるジャーナリズムと称する「もの」があることだけは確実な事実である。ただ頭としっぽがどうもはっきりつかまえにくいだけである。

マスコミ志望者にはぜひ全文を読んで欲しいです。
昭和9年のメディア黎明期に、これほど本質を掴んでいたのは驚異の一言に尽きます。


さて、ジャーナリズムとは「日々を記録すること」なのですが、
それ以上の意味がすでに宿ってしまっている、というのが彼の主張。
私はここまでの記述を踏まえ、

「パワーのある媒体で、世の中をよくしたいと考え
日々発言したり提案したりすることがジャーナリズムである」


と定義することにします。
そして「ジャーナリズムは変質しつつある」という仮説を立てます。
なぜか?


かつて世の中を変える力は、すなわち「権力」そのものでした。
日本的に言えば、庶民の生活を規定するのは「お上」であり、
『お上の言うことには逆らえない』
というメンタリティがいつの時代も常でした。
(中世までは世界でもそれほど差異はなかったでしょう)

そこに近代、マスメディアが登場し、だんだんと「お上の監視役」として
『ジャーナリズムが世論を代弁し、お上にもの申す』
という役目を果たすようになりました。
・・・もちろん綺麗事ばかりではありませんがね。

ところがその構図が崩れつつある。

一億層中流社会から格差社会に移行し、
情報化社会と娯楽的な世相がまん延してくると
「生活とは?」「政治とは?」という言葉の意味合いが変質します。
政治よりも経済、あるいは娯楽に人々の関心がシフトし、
いうならば「政治にそれほど価値を感じない」人が増えてゆきます。

それでも「世の中を良くする」という大前提に立ちましょう。
すると「誰がどこにどう働きかけるか」というアクションは
全く違うものになっている(もしくはなるべき)ではないか?
何だかジャーナリズムという言葉だけが時代に取り残されている
そんな印象を私は持っています。

なのでジャーナリズムそのものの意味が変質している
という自説を立ててしまうわけです。
じゃあ「職業記者」とは何か?(つづく)



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【2008/04/16 20:58】 | ます☆ぶろ研究室    (マスコミ・ウェブ論考) | トラックバック(0) | コメント(0) 
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共感する“フリ”をしていないか?と自問自答。
独り言のような、でもちょっと深いお話。

トキメキについての感性がない(DESIGN IT! w/LOVE)
http://gitanez.seesaa.net/article/93267147.html#more

仕事でものづくりをする際、企画・デザインをする際でも、その作業が単なるオペレーションになってしまっていることが多いのではないでしょうか?能動的にやれている仕事が自分のなかにどれだけあるか?

仕事に限ったことではありません。日々の生活における選択や受容などの行動においても、客観的な計算づくの行動で、みずからの行動さえ自分からすこし離れたところで行ってしまっていることがあるのではないでしょうか。何をおそれているのか、何を不安に思っているのか、わかりませんが、どこか自分の選択や行動にすら距離をとったオペレーションで日々をこなしてしまっており、心から自分の生活をドライブできていない面もあるのではないか。


・・・ドキっとしました。

私はここ数年、

「人にインタビューする→思いや問題点をまとめる
→新たな形を提示する→周囲の協力を得ながら少しずつ実現する」


という一連の流れを仕事の中心に据えていて、
これはヒアリング能力・構造化能力・ネゴシエーション能力といった
自分固有の能力を発揮しつつ、多くの人の共感も得られる方法ではないか?
と、転びながらも少しずつ自信を持ちつつあります。

大まかな部分では、自分なりの計算で成立していると思うのですが
ひょっとすると私は
「相手に共感しているフリ」をするのがものすごく上手いのではないか?

とこのエントリを読んで、自問自答してしまったからです。


「当事者感覚」が大切だということ。これは言うまでもありません。

すごく分かりやすい例で言えば
「今、この世に奇跡的に存在しているのはまぎれもなく自分自身であり、
いつか自身の意識は途絶え、肉体が停止するのは不可避である」

という生と死に関する当事者感覚を常に持ち続けている人と、
何となく毎日を送っている人とでは、時間の密度が確実に違うと思います。
※私も4~5年前から意識するようになり、価値観も変わりました。

もっと人間的な感覚で言えば
愛情、熱意、好奇心、さまざまな欲などがあるでしょう。
「ものづくりはついオペレーショナル(処理的)になりがちだけど
そこにも当事者感覚、もっと言えば事象との距離を近くすることが必要だ」

という主張はよく分かります。
私自身、せっかく機会あってものを作るからには一球入魂、
できる限り妥協せず、自分が良いと思うものを世に提供したいと思っています。
作る人の好みからはどうせ脱却できないから「自分らしくあろう」と考えます。


でも、そこでふと
“自分がニュース取材のインタビューをしていた時のこと”を思い出すんです。

私は相手の話に興味を持っている。なるべくありのままを伝えたい。
しかし客観的に会話を引き出してテープに音声を「記録」するのが自分の仕事だ。
取材時間も編集時間も限られているが、完成度は高くあるべきだ。
そんな条件を満たすために、こんな行動をつい取っている自分がいました。

・事前に会話を誘導するための布石を打っておく
・収録中、相手がしゃべっている時に、カメラの外で無言でうなづく
・あるいは自分の表情を通して(それとなく)話を変えるよう試みる
・結果として“おさまりの良い”“いかにもそれっぽい”答えを目指す


何が言いたいのかというと、
オペレーションを「オペレーションっぽくしないぞ!」と意識して
徹底的にそれとは違う解を得られるような方法論を追求してゆくと、
それはそれで、結果として
“当事者感覚を持っているかのようなフリをした”
バイアスのかかったものづくりになってしまう可能性は否定できないよ・・・
ということです。

このあたり「ものづくりに自分の持ち時間を何百時間・何千時間と
つぎ込んできた方にしか分かりづらい」ような物言いかもしれませんが、
人は、放っておくとついオペレーショナル=やっつけ仕事になりがちです。
(特に会社組織の中では他人から与えられる仕事の方が圧倒的に多い)

常に「自分を疑う」「人は間違う可能性がある」と言い聞かせながら
方法論(一連の所作)としての確立を目指さず、
「その場その場で考える」クセをつけておかないとダメなんだと思います。

※ちなみに、ここで問題にしたいのは
編集の恣意性とか自他の不一致とかそういう話ではなくて
ものづくりの一つの納まりどころとして「自分が相手に共感すること」を
軸にしている私が「それは虚構じゃない」と信じきってやしません?という危惧ね。



似たようなことは、将棋における考え方に関しても言えるんだと思います。
過去の経験を積み重ねることで、より効率的に最大効果のある解を導き出せるけど
それにとらわれすぎると、相手との対話をおろそかにし、結果として読み損なう・・・。
かの羽生先生はこう言ってますね。

羽生善治『決断力』(角川oneテーマ21文庫)より引用
 経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断ができるようになる。たとえば、以前に経験したのと同じような局面に遭遇したときには、「あのときにはこう対処してうまくいった」「こういう失敗をしたから、今度はやめておこう」などと、判断材料や内容が増え、たくさんの視点から決断を下すことができるようになる。
 しかし、判断のための情報が増えるほど、正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。私はそこに将棋の面白さの一つがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。(P.56)

 将棋では、自分が良く知った戦法ばかり同じようにくり返していると、3年、5年、さらに10年という長い目では確実に今のポジションを落とすことになる。(中略)新しい戦型や指し手を探していくことは、新しい発見を探していくことである。だから、どうしても失敗することが多い・・・状況はいつも悪いのだが、1回やれば2回目は前回より少しはマシになるだろうと楽観的に考えている。それが次へのステップ、未来への収穫になる。(P.145-146)


ただ、持ち時間に限りがあるからこそ、
「ものづくり」が前進し、成果物が生まれるのだ、というのも私の持論なんですよね。
そういう点では「感覚を疑い続けること」と「限られた時間を有効に使うこと」
バランスをいかに保つかが、永遠の命題なのでしょうね。

<追伸>
最近感じるのは
「サラリーマンの場合、仕事の7割~8割は
“意味がない”“どうでもいい”と感じるような仕事かもしれない。
でもそこに対する真摯さを保ち続ける(思考停止しない)かどうかで
残り2割の輝きが違ってくるのではないか?」ということだったりする・・・



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【2008/04/14 20:24】 | ます☆ぶろ研究室    (マスコミ・ウェブ論考) | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【将棋】 【つぶやき】 【おすすめの本】

新聞の「発証部数」と「発行部数」、そしてテレビの視聴率。
まだ読みかけの本から、ちょっと「ほぉ」と思った話を抜粋。

サイバージャーナリズム論~「それから」のマスメディア
歌川令三ほか著 
第1章「新聞ビジネス崩壊の予兆」より抜粋

 日本新聞協会の統計では、発行部数は横ばいで、世帯当たり一部の水準を維持している。しかしこの公式部数が水増しされた数字で、実際には売れていない新聞がかなり含まれていたとすればどうなるか?そんな見せかけの部数は、あらかじめ“消えた新聞”と見なしたうえで、実質的な部数で新聞業の将来を論ずるべきであろう。
 ここから話はややこしくなってくる。日本には新聞が何部あるか、数え方には二通りある。業界ではこの“二重の部数”を「発証部数」と「発行部数」と呼んでいる。前者は実際に家庭に配達され集金される部数のことだ。実売部数ともいう。「発行部数」とは新聞社が印刷して専売店に送りつける部数のことだ。だが、新聞社が印刷し専売店に届いた新聞がすべて読者のもとに配達され、「発証部数」(領収書を発行する部数)になるわけではない。
(中略)
 この「発証部数」と「発行部数」の差に当たる新聞を業界では「積み紙」とか「押し紙」という。その数がどのくらいに上るのかは、各社とも“秘中の秘”で、日本新聞協会の部数統計には絶対に出てこない。(略)業界のうわさを統合すると、少ないところで17~18%、多いところで25%以上だ。

マスメディアのマスメディアたるゆえんの1つが
「どの程度の人に伝播するメディアか」という数字なのですが、
新聞社の細かいカラクリは知らなかったので、へぇ~!という感じでした。

ちなみに私の出身畑である地方テレビ局では
視聴者は「エリアの全ての世帯」をベースにして
「視聴率」をかけあわせたものを「リーチ(到達数)」として計上しています。

簡単に言えば100万人のエリアで視聴率10%なら、10万人が見ているぞ
そんな計算になりますが、この視聴率の算出方法は知ってますか?
100万人のエリアなら、およそ100世帯前後のモニター家庭に測定器を設置し
その数字をまんま「全体の傾向」とみなして算出します。
1軒が見る/見ないで数字は0.5%とか1%違う。(時間平均すると細かくなる)

統計学的にはそれで十分根拠があるらしいのですが、
1人1人のユーザがどのページを見たか分かるネットメディアに比べると
「広告を出稿する身」としては、なんとも心細い数字です。

まあ「メディア」というのは、どこか詳細を掴みきれず、曖昧模糊としていて
よく言えば広がりがある、悪く言えばウサンくさい、それこそが特性なのかもしれませんが。


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【2008/03/30 23:45】 | 放送局の気になる実態 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【体験談】 【おすすめの本】

あなぐまの就職自戦記(16)情報の飢えが疾走を生む
前回、前々回のエントリを要約すると
・ネット世界は私たちに「情報を等しく入手できる環境」を与え、可能性を広げてくれた
・大切なのは情報を「知る」ことではなく「生かす」こと。でもこの手段に“正解”はない

ということを主に書いてきました。

あなぐまは、田舎、しかも離島の出身です。
地元には高校がないため、15歳から島を離れひとり暮らしをしてきました。
父は漁師で、母もふつうの主婦。決してインテリでもなく、裕福な家庭でもありません。
漁師に大切な素質を考慮すると、地元で素晴らしいともてはやされるのは
「運動ができる子」や「声が大きく活発な子」であって、
「本やテレビに興味を持ち、物事を調べたり考えたりするのが好きな子」ではありません。
高校がないくらいですから、本屋さんも当然ありません。(テレビの民放も当時少なかった)
都会に遊びにいくと、必ず3時間4時間と本屋で立ち読みするような子供でした。
学校でイジメに遭うと、父親に「ケンカをしてこそ1人前だ」とけしかけられる始末。
当時は自分のアイデンティティ確立にずいぶん苦労しました。
時には「もっと良い環境があるはずなのに・・・」と出自を恨んだりもしました。
(そんな中両親が自分を大学まで進学させてくれたことを、今はとても感謝していますが)

ところが最近、
「このバックボーンがあるから、今のような考え方ができるようになったのかな?」
と気づかされる本を読みました。
マスコミ志望者の皆さんにもぜひ読んで欲しい
梅田望夫さんの「Web進化論」「Web時代をゆく」の2冊です。

簡単に紹介すると、梅田さんは
シリコンバレーでのコンサルティングやITプロジェクトの経験をもとに
「Web2.0時代をどう生き抜くか」をこの2冊で書いていらっしゃいます。
全てを説明するのはとても難しいので、梅田さんのブログを紹介しておきます。

My Life Between Silicon Valley and Japan
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/

ここでは「高速道路」論を少し引用します。(かなり有名ですが・・・)

これでもかこれでもかと厖大な情報が日々ネット上に追加され、グーグルをはじめとする恐ろしいほどに洗練された新しい道具が、片っ端からその情報を整理していく。いったん誰かによって言語化されてしまった内容は、ネットを介して皆と共有される、よって後から来る世代がある分野を極めたいという意志さえ持てば、あたかも高速道路を疾走するかのように過去の叡知を吸収することができるようになった。これが「高速道路の整備」の意味である。(中略)全体のレベルが上がっていることは間違いない。しかし、多くの人が次から次へとあるレベルに到達する一方、世の中のニーズのレベルがそれに比例して上がらないとすれば、せっかく高速道路の終点まで走って得た能力が、どんどんコモディティ(日用品)化してしまう可能性もある。一気に高速道路の終点にたどりついたあとにどういう生き方をすべきなのか。特に若い世代は、そのことについて意識的でなければならない。

梅田望夫「Web進化論」P214~216を引用


まず、すごく浅い解釈から入りましょう。
就職活動で言うと、1次面接と最終面接の違いも似たような話で説明できます。
序盤の面接には確かにある種のセオリーが存在します。
「こうすれば受かりやすい」というキャリア、論点、話術、ふるまいがあるでしょう。
皆さんはネットの高速道路を使って、短時間でそれを吸収することが可能です。
しかし最後の面接は常識的な答えをしたからOKというわけではありません。
企業が求めるのはオリジナリティと創造性、あなたらしさ(それを紡ぐ表現手法)です。
ここでは、就活サイトで培った常識はかえってマイナスになってしまうかもしれません。

(もっとも競争率の高いマスコミ(テレビ局)就職では、ここまでたどりつくこと自体が
非常に難しいです。だからこそ私も高速道路の一端を担っています)

「高速道路が整備されているのは知っているし、眺めたこともある。
やっぱりマスコミ就職は難しいんでしょ?別に自分はそんな苦労したくないから
ほどほどの準備で受験するよ。受かればラッキー!くらいのつもりで」というあなた。
高速道路は誰だって使えるんですから、精一杯疾走すればいいじゃないですか!
「ネットを見ただけで行動した気になっている」のは、ずいぶんもったいない話です。
「他人の物言い」を丸呑みして「自分の物言い」にしている人はいつか馬脚を表しますが、
「収集→整理→消化→行動」の4ステップを地道に実践する人は着実に成長します。

ただ1つ「自分が高速道路を走っている自覚」がなければ危険だということは強調します。

これは就職活動に限った話ではなく、かつての私も、今の私も意識し続けていることです。
地方局(しかも人員不足)の記者が、取材の下準備に使える時間は豊富ではありません。
電話や文書をあたれば数時間かかる「基礎情報の収集」を
数分で可能にしてくれるインターネットにはずいぶんとお世話になりました。
しかし、それを鵜呑みにしてそのまま記事を書くのはとても危険です。
「大切な情報」は、どんなに些細なことでも口頭やメモでウラを取らなければいけません。
うかつなネット情報の転用で冷や汗をかいたり、訂正を出したことも何度もあります。

情報の入手は大切ですが、それを疑うこともまた大切です。
実は情報というのは、大量に仕入れれば仕入れるほど、
「本当の理解から遠ざかり、誤解に近づいてしまう可能性」も秘めているのです。

たとえばニュースなどの情報から「中国という国、あるいはそこに住む人は信用できない」
という印象を持っている人は多いかもしれません。
しかしあなたが記者だとして「中国籍の○○さんを取材する」という場面で
本人と会う前からそんなバイアスを心に秘めて接し、会話するのはナンセンスです。
(ましてや、そういった方向に意見を誘導するなどもってのほか)
1対1のコミュニケーションはその都度相手を受容し、自分を変容させる必要があります。

梅田さんは「高速道路を降りた先の“けものみち”」という表現を使っていますが
報道取材やドキュメンタリー制作でも、けものみちを切り開く力がとても重要です。
思い描いたストーリー・ロジックどおりに事実は決して進んでいかないからです。
しかしそこには何らかの意味やメッセージが確実にあります。切り取り方はあなた次第。
かつては「情報をたくさん知っていること」が記者・ジャーナリストの一番の能力でしたが、
これだけ情報があふれる時代にあっては、求められる能力は確実に変化していて
「情報の高速道路とけものみちを上手に使い、最短時間で最適なメッセージを紡ぎ出す」
という能力が必須ではないのかな?
と6年の経験の中で感じました。

「才能とは情熱を継続する力である」とは棋士・羽生善治の言葉ですが、
この高速道路とけものみちを疾走するには、渇望にも近い情熱が必要だと感じています。
あまり自画自賛するのは好きではありませんが
「子供の頃にネットがあれば、私の人生は変わっていたのでは?」と私は時々夢想します。
情報格差いちじるしい田舎でもがいていた少年時代の記憶があるからです。
しかし、あの頃の「情報に飢え、希求する経験」があったからこそ、
人生最初の就職先にテレビ局を選び、相手にも選んでもらえたのではないか?
すごく大変な仕事だったけど、喜びを見出しながらチャレンジし続けられたのではないか?
そして退職した後も「情報と人」をキーに物事を考え続けているのではないか?と
梅田さんの本を読んで自分を確認できました。頭を整理してくれた梅田さんに感謝です。

子供の頃は30歳を過ぎたあたりから「確固たる自分」ができあがってくると思ってました。
ところが私は「いつも自分は間違っているかもしれないと思い続ける」傾向にあり、
「世界の行く末や目の前の相手の思いなど、さまざまな状況を判断して
その都度モードを変えながら生き抜く」というのがパーソナリティのようです。
よく言えば適応力が高い。悪く言えば日和見主義・ご都合主義。
そして周囲への感謝を忘れず、1日1日を着実に“可能な限り有意義に”過ごしたいと願う。
こういった姿勢が放送局には向いていたのかなと今になって思います。

ということで「あなぐまの就職自戦記」シリーズは
このあたりでお開きにしたいと思います。

・・・次はどんなこと書こうかな?





続・あなぐま就職自戦記[1]新人の私がそこにいたを読む
【2008/02/14 22:27】 | あなぐまの就職自戦記 | トラックバック(0) | コメント(0) 
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