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共感する“フリ”をしていないか?と自問自答。
独り言のような、でもちょっと深いお話。

トキメキについての感性がない(DESIGN IT! w/LOVE)
http://gitanez.seesaa.net/article/93267147.html#more

仕事でものづくりをする際、企画・デザインをする際でも、その作業が単なるオペレーションになってしまっていることが多いのではないでしょうか?能動的にやれている仕事が自分のなかにどれだけあるか?

仕事に限ったことではありません。日々の生活における選択や受容などの行動においても、客観的な計算づくの行動で、みずからの行動さえ自分からすこし離れたところで行ってしまっていることがあるのではないでしょうか。何をおそれているのか、何を不安に思っているのか、わかりませんが、どこか自分の選択や行動にすら距離をとったオペレーションで日々をこなしてしまっており、心から自分の生活をドライブできていない面もあるのではないか。


・・・ドキっとしました。

私はここ数年、

「人にインタビューする→思いや問題点をまとめる
→新たな形を提示する→周囲の協力を得ながら少しずつ実現する」


という一連の流れを仕事の中心に据えていて、
これはヒアリング能力・構造化能力・ネゴシエーション能力といった
自分固有の能力を発揮しつつ、多くの人の共感も得られる方法ではないか?
と、転びながらも少しずつ自信を持ちつつあります。

大まかな部分では、自分なりの計算で成立していると思うのですが
ひょっとすると私は
「相手に共感しているフリ」をするのがものすごく上手いのではないか?

とこのエントリを読んで、自問自答してしまったからです。


「当事者感覚」が大切だということ。これは言うまでもありません。

すごく分かりやすい例で言えば
「今、この世に奇跡的に存在しているのはまぎれもなく自分自身であり、
いつか自身の意識は途絶え、肉体が停止するのは不可避である」

という生と死に関する当事者感覚を常に持ち続けている人と、
何となく毎日を送っている人とでは、時間の密度が確実に違うと思います。
※私も4~5年前から意識するようになり、価値観も変わりました。

もっと人間的な感覚で言えば
愛情、熱意、好奇心、さまざまな欲などがあるでしょう。
「ものづくりはついオペレーショナル(処理的)になりがちだけど
そこにも当事者感覚、もっと言えば事象との距離を近くすることが必要だ」

という主張はよく分かります。
私自身、せっかく機会あってものを作るからには一球入魂、
できる限り妥協せず、自分が良いと思うものを世に提供したいと思っています。
作る人の好みからはどうせ脱却できないから「自分らしくあろう」と考えます。


でも、そこでふと
“自分がニュース取材のインタビューをしていた時のこと”を思い出すんです。

私は相手の話に興味を持っている。なるべくありのままを伝えたい。
しかし客観的に会話を引き出してテープに音声を「記録」するのが自分の仕事だ。
取材時間も編集時間も限られているが、完成度は高くあるべきだ。
そんな条件を満たすために、こんな行動をつい取っている自分がいました。

・事前に会話を誘導するための布石を打っておく
・収録中、相手がしゃべっている時に、カメラの外で無言でうなづく
・あるいは自分の表情を通して(それとなく)話を変えるよう試みる
・結果として“おさまりの良い”“いかにもそれっぽい”答えを目指す


何が言いたいのかというと、
オペレーションを「オペレーションっぽくしないぞ!」と意識して
徹底的にそれとは違う解を得られるような方法論を追求してゆくと、
それはそれで、結果として
“当事者感覚を持っているかのようなフリをした”
バイアスのかかったものづくりになってしまう可能性は否定できないよ・・・
ということです。

このあたり「ものづくりに自分の持ち時間を何百時間・何千時間と
つぎ込んできた方にしか分かりづらい」ような物言いかもしれませんが、
人は、放っておくとついオペレーショナル=やっつけ仕事になりがちです。
(特に会社組織の中では他人から与えられる仕事の方が圧倒的に多い)

常に「自分を疑う」「人は間違う可能性がある」と言い聞かせながら
方法論(一連の所作)としての確立を目指さず、
「その場その場で考える」クセをつけておかないとダメなんだと思います。

※ちなみに、ここで問題にしたいのは
編集の恣意性とか自他の不一致とかそういう話ではなくて
ものづくりの一つの納まりどころとして「自分が相手に共感すること」を
軸にしている私が「それは虚構じゃない」と信じきってやしません?という危惧ね。



似たようなことは、将棋における考え方に関しても言えるんだと思います。
過去の経験を積み重ねることで、より効率的に最大効果のある解を導き出せるけど
それにとらわれすぎると、相手との対話をおろそかにし、結果として読み損なう・・・。
かの羽生先生はこう言ってますね。

羽生善治『決断力』(角川oneテーマ21文庫)より引用
 経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断ができるようになる。たとえば、以前に経験したのと同じような局面に遭遇したときには、「あのときにはこう対処してうまくいった」「こういう失敗をしたから、今度はやめておこう」などと、判断材料や内容が増え、たくさんの視点から決断を下すことができるようになる。
 しかし、判断のための情報が増えるほど、正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。私はそこに将棋の面白さの一つがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。(P.56)

 将棋では、自分が良く知った戦法ばかり同じようにくり返していると、3年、5年、さらに10年という長い目では確実に今のポジションを落とすことになる。(中略)新しい戦型や指し手を探していくことは、新しい発見を探していくことである。だから、どうしても失敗することが多い・・・状況はいつも悪いのだが、1回やれば2回目は前回より少しはマシになるだろうと楽観的に考えている。それが次へのステップ、未来への収穫になる。(P.145-146)


ただ、持ち時間に限りがあるからこそ、
「ものづくり」が前進し、成果物が生まれるのだ、というのも私の持論なんですよね。
そういう点では「感覚を疑い続けること」と「限られた時間を有効に使うこと」
バランスをいかに保つかが、永遠の命題なのでしょうね。

<追伸>
最近感じるのは
「サラリーマンの場合、仕事の7割~8割は
“意味がない”“どうでもいい”と感じるような仕事かもしれない。
でもそこに対する真摯さを保ち続ける(思考停止しない)かどうかで
残り2割の輝きが違ってくるのではないか?」ということだったりする・・・



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【2008/04/14 20:24】 | ます☆ぶろ研究室    (マスコミ・ウェブ論考) | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【将棋】 【つぶやき】 【おすすめの本】

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