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報道って何なんだ?-秋葉原の事件取材をめぐって
やはり昨日の通り魔事件は反響が大きい。

新世代の文化の中心ともいえる秋葉原で起きた事件らしい点は
「ネットと既存報道メディアの差異」
という、本ブログにも関係するテーマでのエントリや議論も多いことだ。

しかし、中にはずいぶん誤解している意見も多いと感じる。
私なりの考えを書いてみたい。


まずUstreamという技術を使って
現場近くから自分でストリーミングをしていた人
の話から。

秋葉原刺殺事件に遭遇して - Recently
http://recently.sakura.ne.jp/wp/?p=41
たしかに最初は面白そうだし、映像のネタになるだろうから。。。というのが配信をした動機だし、配信初めて視聴者が1000人超えた当りでかなり興奮しててただ撮ることに必死でした。

これはかなり楽しんでいたと思います。もしかしたら報道のカメラマンはこういう気持ちになってる人もいるんだろうなぁ~そんな気持ちの中ひたすら撮って、みんなの反応を見ていた。

MacBookのiSightという環境でも事件の様子を伝えられたらしいし。(自分は映してただけなので配信状態がどうだったかとか知らない)それでも、野次馬(一般市民)の人たちが2次的被害にあってないとか、警察・救急の方々の仕事ぶり、犯人の逮捕状況(このときは逃走中)などリアルタイムで伝えることができただろうし、事件を知ってから現場に急行したテレビ局の報道の人達よりは多くの情報を伝えられたと思う。


記者やカメラマンであっても、生まれて初めて事件現場に行った人間であれば
誰しもが高揚するだろうし、我を忘れることだってあるかもしれない。

しかし、1つだけ。
毎日現場に行って仕事をすれば分かることがある。
少なくとも私の知っている限り「興奮するから」「面白いから」
そんな浮ついた理由だけで、このハードな仕事を続けている人はいない。


それは「ただ情報を伝えるだけの人」
「目的を持って、仕事として情報を伝える人」との大きな隔たりだ。



次に、ずいぶん早い時間帯から
未確認情報や現場画像などを含めてバンバン情報を出していたという
GIGAZINE」の報道姿勢に対する意見を取り上げる。

GIGAZINEの事件報道にウェブの明日を思う - novtan別館
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20080608/p4
ただ、報道のありようというのは変わって行くかも知れない。もはや速報的に現場を記録することは報道カメラの役割ではない。歩く人の大部分がカメラマンの役目を担うことが出来る。Webに掲示することが出来る。そこにないのは「報道としての選別」である。果たして、今見ているものは真実なのだろうか。

メディアによる捏造と、Webによる濡れ衣の可能性。何を信用すればよいのか。現実とフィクションの狭間にあるウェブの世界は現実との接点が増えるにつれ、変貌した姿を見せていく。ウェブによって現実が捻じ曲げられることへ対する怖れはウェブの個人メディア化への否定的な感情に繋がっていく。ウェブで行われるべきものは制限されていく?そんな未来も十分に考えられる。


すでにネットには大量の情報があふれているし、速報性もある。
「伝える側に回りうる人の数」だけで言えば、
限られた一部の人間が情報操作している懸念さえ抱かれている既存メディアより
比較的簡単な操作で誰もが情報発信できるネットメディアのほうが
メジャー感を持っているのでは?とさえ私は感じている。

しかし、情報の信憑性だけでいえば「まだまだ」であろう。
既存メディアの人々は(時に間違ったやり方をしているかもしれないが)
毎日10時間も20時間も情報収集に時間を割き、
多くの人から情報を集めるノウハウにも長けている。

「どちらを信用すればいい?」と恐れるのではなく、
「どちらも上手に使い、自分の信頼できる情報を構築する」
そのためのスキルを私たちが身につける必要がある。

もはや1メディアの1つの情報を得ただけで
「それは100%信じるに足りる情報である」などと確信するのは
時代に合っていない。

それぞれのメディアは自分たちの特性を生かして情報を発信し、
受け取る私たちがそれをしっかりと取捨選択する時代なのだ。



最後にこのエントリを紹介したい。

秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録 - 筆不精者の雑彙
http://bokukoui.exblog.jp/8328490
死んだ人に対し生きている人が出来ることというのは、死んだ人のことを記憶にとどめ忘れない(そして後世に伝える)ことだけであろうと思います。そこでその場に居合わせた者として、そこで自分が見聞きして記憶に残っていることを以下に整理し、事件の記憶をとどめる一助としたく思います。なお、どうしてもこのようなものはマスコミによる報道が「印象」を(その場にいた者にさえ)刻み込んでしまうものですので、小生はまだマスコミ報道に敢えて目を通さず、自分と同行の友人諸氏とが経験したことに基づいて、記録をまとめようと思います。ですので報道と矛盾する部分があるかもしれませんが、ご諒承ください。

(以下、イラスト付きの詳細なメモが続くが中略)

この場に居た人々が、犯人逮捕などの画像をやり取りしていたことへも批判の声が上がっており、確かにその指摘ももっともなところがあるとは思いますが、マスコミの取材の方もひとしきり話を聞くとほぼ全員、「何か画像をお持ちではないですか?」と聞いてきました。しかしそれもまた考えるに、マスコミも視聴者・読者の要望に応える必要性があるゆえのことでしょう。
有体に言って、必死になって逃げている時に振り向いて写真を撮る命知らずは、居るはずが無かったろうとは思います。


できれば全文を読んでいただきたい。
この方が見聞したものが、非常に丁寧に綴られている。素晴らしい。

「死んだ人に対し生きている人が出来ることは、
死んだ人のことを記憶にとどめ忘れない(そして後世に伝える)ことだけ」

という考え方は、おそらくこの数日間続くであろう報道と
それにまつわるさまざまな情報を見る際、ぜひ心に留めてほしい一言
だ。


昨日と同じ結論になるが、
今回の事件で私たちが記憶し、考えるべきは
加藤某という容疑者の生い立ちや評判、言動だけではなく
犠牲になった方々の悲しみ・怒りだけでもなく

「このような事件を2度と起こさないために、
私たちにはいったい何ができるのか?」


その1点である。
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【2008/06/09 22:12】 | 元記者のニュース解説 | トラックバック(0) | コメント(0) 
tags:【体験談】 【ニュース】

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